折立から室堂まで 3DAYS 7/15-17

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海の日の3連休に折立から室堂まで、出来立てほやほやのrayway backpackと歩いてきた。

DAY1 7/15 折立→薬師峠

前日、仕事終わりに富山に入ってホテル泊。北陸新幹線が金沢まで開通してから富山までのアクセスがずいぶん楽になった。これが全線開通すると夢のようなアウトドアライフが実現するのかもしれない。

7時ちょうどにハイクスタート。今日は快晴の予報。

木漏れ日の中を歩く。人は思ったほど多くない。

50分でアラレちゃんに到着。

樹林帯を抜け木道に出る。ここから直射日光が容赦なく照りつける。日焼け止めを塗り直す。去年は半袖で登ってしまい、両腕が火傷のうようになってしまって体力を奪われてしまったのだった。

ニッコウキスゲの群生地の彼方に立山が見える。その麓が今回のゴールの室堂だ。7月に北アルプスに入る楽しみは何と言っても花だ。

飛行機雲が出ている。明日は天気が崩れるのかもしれない。

彼方に薬師岳が見えてきた。今日の内に薬師岳を越えてスゴ乗越しまで行ってしまうのもいいかもしれないと思った。

雷鳥に遭遇、まだ冬毛が残っている。

立山方面には剱岳が見える。

初めてここを登った時はとてつもなく長く辛く感じたのだが、今回は体力的にも精神的にもずいぶん余裕があった。急がず慌てず自分のペースを保てていた。

しかし、まだまだ遠い薬師を見ると今日中にあそこを超えてスゴ乗越しまで行くのは少し無理なような気がしてきた。

花と抜けのいいトレイルの風景を楽しみながら歩く。昨年の反省からこまめに塩分と水分を補給する。

ハクサンイチゲ、いつもお盆の頃には終わっているので初めて見たような気がする。

太郎平小屋が近づいてきた。

今年は残雪が多いと聞いていたが、ここに残っているのは初めて見た。

10時15分、太郎平小屋着。体力は問題ないのだが微かな頭痛と吐き気がするので今日は薬師峠幕営と決めた。

折立までのバスが立ち寄ったコンビニが激混みでお昼ご飯を買えなかったので、小屋でカレーをいただく。

小屋前で30分ほど休憩して薬師峠に向かう。

黒部五郎、槍、鷲羽、水晶と綺麗に見える。居合わせた薬師岳山荘まで行くおじさんと山座同定しながら歩く。

薬師峠が見えてきた。テントはまだ数張だ。

11時20分、薬師峠幕営。今回は初投入のヘリテイジのクロスオーバードーム、ポール込みで700gという軽さ。明日歩く薬師峠〜五色ヶ原間はアップダウンの激しい12時間の行程になるので今回は装備をかなり軽量化してきた。そのせいか今のところ上半身の疲れがほとんどない。

テント場も半分以上が雪に埋まっている。まだ微かな吐き気と頭痛があるので傘をさして日陰を作って1時間ほど昼寝をする。

起きると回復していたので、高度順応も兼ねて薬師の稜線まで雪の状況を見に行くことにした。花を見つつ登る。

去年同じ時期には全く雪がなかった所が完全に埋まっている。

踏み抜きに注意して進む。軽アイゼンを持ってくるかかなり悩んだのだが雪解けが進んでいるという情報もあったので結局持ってこなかった。ストックがあるので問題なく登れる。

ハクサンイチゲ。

薬師平手前の雪渓。

薬師平を抜けると稜線が見える。

太郎平に着いた時もちょうど防災ヘリが飛来してけが人を救助して行っていたが、また飛んでいる。

残雪が多いためか花はまだ盛りじゃないけど咲いている所は綺麗に咲いている。

登ってきた道を振り返る。

15時、薬師峠に戻る。テントがずいぶん増えている。

折立の登りで滝汗をかいて体がべとべとなので今回初めて持ってきたこれで拭く。

広げると手ぬぐい並みの大きさで全身満遍なく拭けるのでこれはいい。翌朝はテントの結露取りに使った。

晩御飯は袋飯に味噌汁。袋飯の味付けは難しいが味噌汁があればご飯が進む。

18時、夕陽を見たくて誰もいない太郎平に上がる。

期待していたのだけど雲が多くてこれがピークだった。

19時就寝。昼間は暑かったが陽が落ちてからは寒すぎず過ごしやすい気温になった。疲れはほとんどないので明日は五色ヶ原まで行ける気がしてきた。

DAY2 7/16 薬師峠→五色ヶ原

2時半、起床。朝食はバームクーヘンと中華粥。このジップロックの蓋がガス缶乗せて安定させるのにちょうど良いサイズだと気づいて朝からひとりでニヤニヤする。こういった一人二役ができるようなギアが好きだ。

明るくなるのを待って4時半、ハイクスタート。今日は長い一日になるだろうなとは思っていたが想像以上に長い一日になってしまうのだった。

薬師平に上がると黒部五郎、槍が綺麗に見えた。風はなく、静かだ。今日は昼前後から天気が崩れる予報だ。

稜線に向かって雪渓を登る。

登るにつれて槍穂の稜線が見えてきた。

稜線に出るとそこそこの風。

薬師岳山荘でトイレを借りて、先に進む。去年はこの辺りで風雨が強くなって撤退したのだった。

すでに雲行きが怪しい。

避難小屋と遭難の碑。少し風が強まる。

避難小屋の陰で風を避けて行動食をとって休憩。

6時10分、薬師岳ピーク。久しぶりの薬師岳ピークだ。

ピークからは槍穂の稜線が綺麗に見える。2年前に縦走したジャンダルムから槍までの稜線を目で追う。

前方にはこれから歩く北薬師の稜線。一度下って登った先が越中沢岳、さらにその先の雲がかかっている辺りが五色ヶ原だ。彼方には立山と劔が見える。

北薬師へ歩き始める。他の人はピストンで戻って行くので誰もいない。

北薬師への稜線は切り立っている。

雪渓をバックにハクサンイチゲ。

しばらく歩いて振り返ると薬師岳と金作谷カールが見える。

この辺りでスゴ乗越から上がってきた夫婦とすれ違う。そしてさらに雷鳥の雛に初めて出会った。4匹ぐらいちょこちょこと、人間にとっては生きるのもの厳しい岩稜帯を自由に歩き回っていた。

7時12分、北薬師岳ピーク。思った以上に歩きにくい稜線だった。

前方のP2832の背後からガスが勢いよく噴き上がるのが見えた。風が強まってきている。雲も増えてきた。嫌な予感しかしない。

P2832付近も歩きにくいガレ場が続く。

スゴ乗越の手前にある間山へ向かう稜線上に雪渓があった。稜線上の雪渓は初めてだったので、戸惑ってしまった。雪渓上に足跡も見えなかったでこれは右側から巻くものだと勘違いしてしまい、ザレた斜面を少し下りた所で足を滑らせて転倒。立ち上がろうとしても足元がザラザラと崩れるので這うようにして稜線に戻った。右腕を強打してしまい、修理したばかりのLEKIのポールは折れ曲がっていた。

あらためて雪渓に目を凝らして観察すると足跡がわずかに見えたので真ん中を直進。簡単なことなのにどうして巻こうとしたのだろうか?、とにかく体を休めて落ち着こうと雪渓を渡ってしばらく座り込んでいた。歩いてきた稜線を振り返る。とにかく今年は雪が多い。これは苦戦しそうだと思った。

間山へ向かう道中も雪渓の連続。この辺りでスゴ乗越から上がってきた人達と何人かすれ違う。後ろを振り返ってもこっちに向かって来る人の姿は見えない。

すれ違う人にこの先のトレイルの状況を聞く。一番気になる明日歩く予定の獅子岳、鬼岳周辺の雪渓情報も教えてもらう。間山の雪渓もかなり残っているのでルートを教えてもらった。思ったより人が少ないせいか、すれ違う人とはほとんど会話をしながら進む。それが大きな励みになる。

この辺りのセクションはガスも晴れてなだらかで気持ちのいい所だった。前方に越中沢岳が見えるが、一旦大きく下った先なので気持ちを大きくくじく。

振り返ると今にも降り出しそうな雰囲気。

間山の巨大雪渓を下る。教えてもらった通りに対岸に渡ってなるべく土の上を歩く。

横から見るとこの斜度なので雪渓上を歩くにはピッケルと歯の多いアイゼンが要る。

下ってきた雪渓を振り返る。

スゴ乗越小屋目指してガスの樹林帯に入る。

9時50分、スゴ乗越小屋着。時間的には予定通りだが、雪渓が予想以上に多いので手こずっている気がする。この小屋は以前から一度来てみたかったのだ。名物のカレーが気になっていたのでオーダーする。ちょうど五色方面からソロの男性が着いたので話しながらカレーを待っていると、薬師方面からもソロの男性が着いて同じくカレーをオーダー。

本格的なスパイスカレーでゆっくり味わいながら食べる。

小屋からはインド音楽や宗教的な香りがプンプン流れてきて、かなり気になって長居したかったのだが、雨が降り出したのでレインウェアを着込んで10時半出発。後から来たソロ男性が先行するも、スゴノ頭辺りで追い抜く。すっかりガスに包まれて大粒の雨が降ってきた。風はますます強まっている。

ガスっている中で雪渓を歩くのはルートロスが恐い。

スゴノ頭、越中沢の辺りはガレ場の急登が続く。両手を使い、這うようにして登る。今日はすでに6時間近く歩いているので膝が心配になってくる。焦らず、ペースを保ち水と行動食を定期的にとる。

ガスの中に巨大な真四角な物があったので何かの人工物だと思い、驚く。

近づいて見るとただの岩なのだった。ガスっていて雨風が強いと、誰もいないはずなのに人の声が聞こえたり、すぐそばに人がいる気配がしたりして、立ち止まって振り返ったりしてしまう。追い抜いたソロの男性の姿は見えない。

10メートル先も見えない。

花を見て心を落ち着かせる。

13時、越中沢岳ピーク着。

ここから先は去年歩いた道なのだが雪とガスのせいで全く違って見える。

風が経験にないぐらいに強まっている。嵐になってしまった。休憩はハイマツの中で取る。

吹きさらしの中は身を屈めて、ストックと両足で踏ん張るが、風圧で横に流されながら歩く。

もうほとんど写真を撮る余裕もなく、15時17分、五色ヶ原の木道に着く。風に揺れるハイマツが並んで歩くパーティーに見えたり、話し声が聞こえたりと、かなり精神的な疲れが出てきていたので本当にほっとした。脚は膝とふくらはぎに何度か痛みが走ったがなんとか持ってくれた。

早く小屋に着きたくてガスの中の岩が小屋に見えてしまう。

最後まで雪渓との戦い。

15時42分、五色ヶ原山荘着。入ると小屋番の人が驚いて迎えてくれた。この嵐の中を人が来るとは思っていなかったみたいだ。

テントは張れないので小屋にチェックイン。今日は薬師から歩き通したことに満足していたのでご飯付きにした。僕が着いて30分後に後方の男性も無事に到着。ますます風雨は激しくなっている。風呂もあるので入ると2名先客がいた。薬師岳山荘から僕の先を歩いていたソロの男性と、今日室堂から入った同じくソロの男性だった。

客は僕を入れて4名、静かな中、小屋に叩きつける雨と風の音だけが流れる。19時前に布団に入ったのだが明日のことが頭を駆け巡って眠れない。この雨で雪渓は大丈夫だろうか?、嵐は収まるのだろうか?と、宿泊客が少ないので贅沢な一人部屋とふかふかの布団でも眠れない。

DAY3 7/17 五色ヶ原→室堂

眠ったのか眠ってないのか分からないまま4時頃に目が完全に覚めた。しかし、まだ小屋に叩きつける風雨の音は弱まっていなかった。

ゆっくり朝食を食べて、天気予報を確認すると9時頃に回復するようだった。去年歩いた道を思い出しながら、風さえ弱まれば天候回復前に出ても歩けると判断。6時、小屋の親父さんに見送られて五色ヶ原山荘出発。とても居心地のいい小屋だった。風はだいぶ弱まってきている。

今日も雪渓との戦い。

ハクサンイチゲの群生地。

ザラ峠、さすがにここは風が強いが昨日の風に比べると大丈夫だ。

ザラ峠から獅子岳へ登る。奥に見えるのが鬼岳だろうか。

獅子岳の雪渓が始まった。雨で足跡が流されてほとんど残っていない。慎重に時間をかけてルートを見極めて歩く。

この斜度のきつい雪渓、対岸にマーキングと微かな足跡が残っていたのでまっすぐ進んだのだが、穂高の稜線より恐かった。いつ崩れるか分からず、足を滑らせればガスの中にまっすぐ、どこまでも落ちていきそうで、恐怖で呼吸が荒くなり、渡り終えた時には座り込んでしまった。昨日すれ違った人が四つん這いで歩いたと言っていたがここのことかもしれない。

少し休憩して歩き始めると黒百合が咲いていた。

雨はまだ降っている。

鬼岳の雪渓に入った。ここは小屋の人が切ってくれている。これを切る作業は大変だっただろうなと思う。

去年とは全く違う風景に戸惑いながら進む。

ガスが立ち込めて静かな中、ひとりで雪渓をいくつも越えて行く。

これでよく崩壊しないな、と思う。

鬼岳の最後の雪渓、雪原のような所を歩く。

真っ白で先が見えない中、ロープだけを頼りに歩く。自分がどこで何をしているのかよく分からなくなる。

鬼岳を巻き終わって次は龍王岳を巻くために高度を上げる。もう雪渓はない。核心部を無事越えた。

そして明るくなってきた。

巻いている最中に龍王岳がガスの中から現れた。

巻き終わって振り返ると青空が見えた。

前方の雄山もガスの中から姿を現そうとしている。

数分の内にガスが晴れた。雄山に取り付く人達が数珠繋ぎに見える。久しぶりに沢山の人を見た気がする。

ずっと道標のように眺めてきた劔も見える。

室堂全景、雪が多い。

この後もまだまだ雪渓歩きは続いた。

温泉に入って観光客が溢れる中、立山を眺める。

よく歩いたと思った。

一番の反省点は残雪多しの情報をもっとリアルに捉えられなかったことだ。やはり軽アイゼンは必要だった。なくても歩けるのだが、あるのとは時間と疲労度がかなり変わってくるだろう。これは残雪に対する経験不足だと痛く反省。雨は常に降られるものなので対策は万全なのだが、未経験の強風はさすがに恐かった。日程の限られた縦走だから行ってしまったけど、もっと余裕のある山行ならスゴ乗越での停滞が正解だった。

とにかく久しぶりのソロ縦走は自分の力量と正面から向き合えたし、孤独の中にも山の風景に感動を覚え、出会えた人々との触れ合いを楽しみ、忘れられない縦走になった。

今回の山行の大きなテーマが薬師峠〜五色ヶ原を一日で歩くことだった。コースタイムだと12時間。今までの経験上、12時間も歩くと全身の疲労がかなり大きいだろうということは分かっていた。最終日なら歩くだろうけど、中日で歩くのは冒険になってしまう。そこで取り組んだのが装備の大幅な軽量化だった。バックパックをいつものグレゴリートリコニからrayway backpackに、マットをクローズドセルタイプに、テントをクロスオーバードームに変えた。これだけでおよそ3kg強の減量になる。後の細かい装備は最近の物はすでに軽量化がデフォルトなので特に変更はしなかった。

ギアインプレッション rayway backpack

rayway backpackは仕事終わりなどに時間を見つけてはちょくちょくと縫い上げ、ひと月ばかりかかって完成した。そして、完成品を前にしてまず思ったことが、こんなぺらぺらなバックパックで本当に山に行けるのか?、ということだった。ショルダー部分が取れたりするとそれで終わりなのだからと、完成当時のrayway backpackに対しては、ひとつのモノを作り上げた満足感は大きかったのだが、実際これを使うとなると、とてもネガティブな思いしかわかなかった。しかし今回、割とハードな山行で使ってみてほころびひとつ出なかったのには驚いた。よく設計されたバックパックだと思うし、何より自分で縫製したものでここまで歩けた喜びは大きい。

肩荷重のバックパックは初めてだったが、腰への負担がないので歩く動作へのストレスがなく、それが疲労の軽減につながっている気がする。大きなウェストベルトでガチガチに締め上げて腰に荷重をかけて長時間歩くと、どうしても骨盤から太ももにかけて痛みが出てしまっていた。それがないので脚全体への負担の軽減にもなっているのだろう。肩は最終日に痛みが出てきたぐらいで、いつものようにショルダーの跡が内出血で残るということはなかった。何よりいつもより3、4kg軽い、というのが今回のルートを無事に歩き通せた要因であることは大きい。バックパックの重みで体がふらつくことは一度もなかった。

軽量化のために装備を削ることはしていない。バックパックとテントとマットを変えただけだ。ただこれだとやはり山での楽しみの食事が味気ないものになってしまうので、フライパンや生食材を持って行って調理をしたい時は、今まで通りのグレゴリートリコニで行くだろう。raywayはこれからもその時々の山行に合わせてどんどん使っていきたいバックパックだ。