なんだか蝉っぽいのが鳴いているなとは思っていた。
蝉ってやかましく鳴いて夏の始まりを盛り上げてくれて、夏の終わりには田舎の思い出や失恋や無益に過ごしてしまった空しさやなんだかんだの喪失感とともに耳に残るものだったので、この立ち止まって耳を澄まさないと聞こえないぐらいの弱々しいのがまさか蝉の鳴き声だとは。
風のない新緑のブナ林でひとりたたずんで春蝉の声を聞く。見上げると張り巡らされたブナの枝葉が空を覆い、ちらちらと太陽の光が漏れてくる。春蝉の声以外無音で自分の地面を踏みしめる音で我に帰る。鳴き始めた蝉の命は儚い。それでもこの場に永遠に留まっていたいと思わせる見事な春蝉の生命の息吹を感じる。
「行く?」と聞かれて「行かない」なんて答えると後々しこりになるのは見えているので「行く」と答えたのが3ヶ月前。秋田のイメージが全く湧かず前日になってもテンション上がらないまま伊丹から始発便で秋田に。4時起きで出たので眠気で飛行機に乗ってもテンション上がらず爆睡。途中で目覚めて北アルプスっぽい冠雪した山脈を見て少しテンション上がった。
そんな旅の始まりだったけど、秋田に着いてレンタカー借りて国道少し走っただけで風景の抜けの良さに目が覚めた。明らかに山の様子が関西と違う。広葉樹が多い為か丸みがかった山が緩やかに地平線に波打っている。遮るものがない為にどこを見ても見通しが良い。全く違う土地に来たんだなと実感した。
唯一、なんとなく知っていた角館。行ってみて驚いた。ここはほんとうに凄い。小京都と呼ぶには勿体ないぐらいの立派な武家屋敷群は圧巻。広大な敷地を囲む黒壁が整然と続き、庭と言うより森に近い緑の奥に見え隠れする複雑な構造の見たこともない家屋。黒壁に映えてコントラストが目にまぶしい新緑の枝垂桜とカエデ、そして庭木には見えない大自然の中にあるような巨木たち。美しさと神々しさの中に静かに武家屋敷が鎮座している。
通りの真ん中に出て見回すと、ここは町なのか森なのか分からなくなった。自然の歴史と人間の歴史が静かに共存している奇跡の町。黒壁だけになって更地になっている所もあったけど明治維新を乗り越え、よくぞこれだけ残ってくれたと思う。この町の風景は一生忘れないだろう。
午前9時頃に着いたので人もまばらで静かだったので感傷に浸りつつゆっくり見れた。昼近くになると中国人ツアーが。桜と紅葉の時期にも行ってみたい。
黒湯温泉をベースに乳頭山ハイク。ここは乳頭温泉郷の中でも最奥部にあり、結構山深い。宿もスタッフも山小屋的な感じが素敵だった。宿にはテレビも娯楽施設もない。ただひたすら温泉に入り、会話をし、散歩をし、美味い飯を食い、飲んで、寝て過ごす。食事は山の幸メインで旬の筍や川魚が最高に美味い。
湯治の為の自炊棟もあり長期滞在者が居た。泉質は癖がないので一日に何度も入れる。かなり腰や首に効いてきて梅雨に入ってから不調だった体調はいい感じに。部屋ではやることがないので夕飯食べて温泉入ると21時には就寝、朝は自然光で5時に目が覚める。こんな所で仕事ができたら捗るだろうなあ。iPhoneは圏外でテレビもないので外の情報は全く入って来ないけど、そのお陰なのかなんだか清々して身軽になれた。
固茹での温泉卵。一体どうやって作ってるのか殻はこんな色で白身は茶色がかっていた。
乳頭山は新緑と花の季節。山菜の季節でもあり、山菜ハンターたちがバリエーションルートでもあり得ないような所から突然登場したり、分け入って行ったりなかなか面白かった。これも、あれも、それも食べれるよと教えてくれた。凄い豊かな山だ。
秋田内陸鉄道、今年で存廃が決まるらしい。沿線の田園風景は美しい。山と田んぼ、それだけだけど単調ながらもわずかな変化があり、眺めていると精神が研ぎすさまれてゆく。目に飛び込んでくる風景が次々に脳内に流れ込んで来る。反芻する間もなく次の風景がやって来る連続性。電車の旅で味わえる何も考えない心地よい無の境地。