「始まったよ」
友子の声が居間から聞こえてきた。
正確な発音で期待のこもった声色が静かに脳裏に響いた。
「ああ、行くよ」
ぼくは書きかけの原稿を切り上げ、
マッキントッシュの電源を落とすと居間へと向かった。
友子はこたつに入って背筋を伸ばし、テレビを正視している。
彼女の後ろ姿を見て一瞬、あの十年前が激しく甦りぼくの心を大きく揺さぶった。
テレビでは宇多田ヒカルが舞台で歌い始めていた。
特にファンとかいう訳ではなかったのだが、ぼくの青春時代、
友子と関わる時、いつも側では宇多田ヒカルの歌声が流れていた。
「それ、宇多田ヒカルですか?」
初めて流れたのはクンミンの宿に併設されたレストランの中だった。
十人ぐらい座れそうな大きな円卓にひとり、旅行中に買ったテープを流しながら
晩飯を食べていると声をかけてきたのが友子だった。
「宇多田ヒカル、好きなんですね」
「いや、日本語の歌なら何でもよかったんだよ」
「旅行中、日本語の歌を流すとどんな気分になるのかなって」
故郷を想う時、人は何を想うのだろうか。
家族か恋人か美味い飯か、歌か。
長い旅を続けても故郷を想うことの無かったぼくは
露店でたまたま見かけた宇多田ヒカルのテープを買っていた。
「聴いてみてどんな気分になったの?」
友子は椅子をひとつ挟んで円卓に座ると静かでよく通る声で聞いた。
「考えてたら、君が来た。久しぶりに日本語話すよ」
友子が食事をオーダーするとそれからぼくたちは
今までの旅のこと、これからの旅のこと、この国のことを取り留めもなく会話した。
宇多田ヒカルは話題にのぼらなかったが側ではずっと彼女の歌声がテープから流れていた。
帰国して初めて友子の部屋を訪ねた時、
ラジオから流れていたのは宇多田ヒカルの歌声だった。
あれから十年、
ぼくらは年齢も顔つきも境遇も関係も変わってきた。
久しぶりに目にする宇多田ヒカルの顔も話すことも
十年の時間を充分に感じさせるものだった。
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これはフィクションです。
少し春樹風味な味付けと文法の誤りもフィクションです。
ほとんどテレビを見ることはないのだけど
宇多田ヒカルのドキュメントは妻が楽しみにしていたみたいで
時間になると「始まった」とひと言。
ぼくも一緒に見た。
そう、大根サラダを食べながらね。
インターネットテレビとかが普及すると時間を待つこともなくなるので
「始まった」とかの台詞は消滅してしまうのだろうか?
スマートフォンが更に普及すると
「次会う時までに調べとくよ」みたいな台詞も消滅するのだろうか?
「大丈夫、間に合うさ。俺の経験で言わせてもらうと、まあ大阪駅まで電車で20分だぜ?」
みたいなキザな台詞も乗り換え案内の前では無力なのだろうか?
人差し指一本で
会話のすべてを変えていきます。もう一度。